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紹介
江戸時代の文献『摂津名所図会大成』木村兼葭堂著に
「虚空蔵堂太平寺にあり虚空蔵菩薩を安ず参詣間断なし
別けて三月十三日は十三歳の童子群参して智福を祈る
これを十三参といふ」
と記され、太平寺が「十三まいりのお寺」として多くの人々に親しまれ、信仰を集めていた様子がわかります。
また境内には北山不動明王・祗空翁文塚などが祀られ、おおさか十三仏霊場第十三番・大阪四不動南方霊場として、四季の花々の間に歴史のひとこまを伝えています。
なお、太平寺の年間行事については、行事の一覧表をご参照下さい
虚空蔵菩薩
「虚空蔵堂太平寺にあり虚空蔵菩薩を安ず参詣間断なし
別けて三月十三日(旧暦)は十三歳の童子群参して智福を祈る
これを十三参といふ」
『摂津名所図会大成』(木村兼葭堂著)
釈迦三尊像
元来、明治時代に四天王寺との交諠により贈られた三尊像でしたが、惜しくも大阪大空襲で焼失しました。現在は昭和57年に仏像と建物共に復興され、清凉寺様式の
北山不動明王
元禄のころ、当時海内随一の名医北山壽安(号は友松子、または仁壽庵、逃禅堂とも称した)は、大名や富裕な商人達の治療と共に貧者の治療や救済にも力を尽くしました。寺伝によれば元禄14年(1701年)3月3日、壽安は万民救済の誓願成就を祈念してこの石像の下に生きながら定に入り、同月15日その鉦の音が途絶えたと伝えられています。この石材は紀州候の病気を癒した時、謝礼の金品を断りお城の庭石を貰い受けて帰り、刻んだものといわれています。明治から昭和の初期にかけて講談や浪曲などで医聖として津々浦々にまでその名をはせた藪井玄意は北山壽安をモデルにしたものです。
現在も3日と15日、並びに不動明王御縁日の28日には参詣者が絶えません。
やさしいお顔をした北山不動明王は、人々に親しまれています(大阪四不動南方霊場)。
大阪市指定文化財
平成二十九年 六月 九日
北山不動明王・金加迦羅・世伊多加童子とその信仰習俗
「北山不動明王・金加迦羅・世伊多加童子とその信仰習俗」が大阪市指定有形文化財および大阪市指定無形民俗文化財に指定されました。
聖観世音菩薩桜観音
平成24年2月に聖観世音菩薩桜観音が建立されました。そのお膝元に永代供養墓久遠廟が完成しました。
永代供養墓久遠廟のお申し込みを受け付けております。
詳しくはご案内をご覧下さい。
祗空翁文塚
針塚・筆塚・茶筅塚
針供養
裁縫に携わっている人々が、針仕事を休めて一年間使った古い針を供養すると共に裁縫の上達を願うという古くからの行事です。
筆供養
使い古された筆や鉛筆などを供養します。書芸、文芸の奉納行事として、道具への感謝と共に諸芸上達の願いを込めて行われます。
茶筅供養
慣れ親しんでお世話になった茶筅をお焚き上げ供養する報恩感謝の儀式で、道具を大切にし感謝をより深めるものです。
針塚 ・筆塚 ・茶筅塚は、昭和62年に諸芸上達を虚空蔵菩薩に祈願して建立されたものです。
毎年2月8日には、針供養 ・筆供養 ・茶筅供養が修行されます。道具を供養し、感謝と諸芸の古き良き心を伝える行事です。
※ 医療産廃等、受け付け出来ない針がございますので、ご了承下さい。
マニ車(経車)
マニ車(経車)の中にはお経が納められており、これを手で回すとお経を一巻お唱えするのと同じ功徳があるといわれています。
鳥居
太平寺は加賀藩大坂蔵屋敷の菩提所でした。廃藩置県の際に蔵屋敷内にあった前田家(本姓菅原氏)の先祖道真公を祀る天神宮を寺に移したのです。しかし立派な神殿や拝殿は、歴代藩主の見事な位牌とともに昭和20年の戦災で焼失しました。
現在の本堂の前に石の鳥居だけが残っています。