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明治から昭和の初期にかけて講談や浪曲などで医聖として津々浦々にまでその名をはせた藪井玄意のモデルで、『近世畸人伝』(岩波文庫、東洋文庫に所収)、『皇国名医伝』などに卓抜した医療とともに「医は仁術」を身を以て示した逸話の数々を留める名医、北山尋安(号は友松子、または仁尋庵、逃禅堂とも称した)が萬民救済の誓願を込めて建立した北山不動の石像の境内にあります。
この石材は紀州候の病気を癒した時、謝礼の金品を断りお城の庭石を貰い受けて帰り、刻んだものといわれております。寺伝によれば元禄十四年(1701年)三月三日、尋安はその誓願の成就を祈念してこの石像の下で生きながら定に入り、十五日にその鉦の音が途絶えたといいます。現在でも三日と十五日、並びに不動明王の縁日の二十八日には参詣者が絶えません。
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