十三まいりのお寺/太平寺
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十三まいりのお寺/太平寺
十三まいりのお寺/太平寺

虚空蔵菩薩は虚空のような広大無辺の知恵と慈悲を持ち、衆生の願いを叶えるとされ、また、十三仏信仰の十三番目、満願成就の仏様であります。この仏徳にあやかる為、十三歳の子供が「知恵詣り」「知恵貰い」等と称して参詣する古くからの行事が「十三まいり」であります。江戸時代の『摂津名所図会大成』(木村兼葭著)にも「虚空蔵堂 太平寺にあり 虚空蔵菩薩を安ず 参詣間断なし 別けて三月十三日(旧暦)は十三歳の童子群参して智福を祈る これを十三まいりといふ」と記され、太平寺が「十三まいりのお寺」として親しまれてきた伝統が窺えます。

十三まいりのお寺/太平寺
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仏殿には釈迦三尊像が祀られています。中央には清凉寺様式の等身大釈迦如来立像、向かって右には獅子に乗った文殊菩薩、左には象に乗った普賢菩薩の三尊であります。元来、明治時代に四天王寺との交諠により贈られた三尊像であったが、惜しくも大阪大空襲で焼失、その後昭和五十七年に二十世白雲亮三大和尚と檀信徒の尽力により、仏像、建物共に復興されたもので、当時の様子が偲ばれます。

   
十三まいりのお寺/太平寺
十三まいりのお寺/太平寺

祇空は大坂の薬種商の家の生まれで、元禄から享保にかけて活躍した浪速を代表する俳人でした。宗祇を慕い、芭蕉に傾倒した彼の俳風は「法師風」と称され、時流におもねらない超然高潔たるもので、しかも平明であると評されております。その生涯の殆どを旅に過ごし、享保八年(1733年)箱根の石霜庵で歿しております。没後、門人の手で句集『くち葉』が刊行され、この行雲流水の俳人の区境を良く伝えております。しかし、なぜ太平寺にこの文塚があるのはか定かではありません。


十三まいりのお寺/太平寺
十三まいりのお寺/太平寺

明治から昭和の初期にかけて講談や浪曲などで医聖として津々浦々にまでその名をはせた藪井玄意のモデルで、『近世畸人伝』(岩波文庫、東洋文庫に所収)、『皇国名医伝』などに卓抜した医療とともに「医は仁術」を身を以て示した逸話の数々を留める名医、北山尋安(号は友松子、または仁尋庵、逃禅堂とも称した)が萬民救済の誓願を込めて建立した北山不動の石像の境内にあります。
この石材は紀州候の病気を癒した時、謝礼の金品を断りお城の庭石を貰い受けて帰り、刻んだものといわれております。寺伝によれば元禄十四年(1701年)三月三日、尋安はその誓願の成就を祈念してこの石像の下で生きながら定に入り、十五日にその鉦の音が途絶えたといいます。現在でも三日と十五日、並びに不動明王の縁日の二十八日には参詣者が絶えません。


十三まいりのお寺/太平寺
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針塚・筆塚・茶筅塚は、手芸・技芸の上達を虚空蔵菩薩に祈願し、その針、筆、茶筅の供養の為に昭和六十二年に建立されたものであります。毎年二月八日には、午前中に御献茶式と茶筅供養、午後からは針供養・筆供養が修行されます。使い古した道具を供養し、感謝を捧げる日本人の古き良き心を伝える行事であります。


 
 
 
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